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小笠原 彩
機械情報工学科 4年
海外に行ったことがない私がインドに行って考えたこと
0.はじめに
何を書けばいいですかと尋ねたところ、好きなように書いてくださいという回答をもらった。この際なので、レポートや報告書の体裁は気にせずに、私が感じたことを日記のように記しておこうと思う。
1.私がインドに行く理由
今回のインドツアーは、私にとって初めての海外だった。はじめに、それまで海外に行ったことがない私が、なぜこのツアーへの参加を決めたのかを説明しようと思う。
私は高校までを北海道で過ごした。北海道はとても広く、家族旅行といってもほぼ全てが北海道内で完結する。そんな状態だったため、大学進学とともに東京に行くということだけでも一大事であり、「日本から出る」ということは意識高いお金持ちがするものだと思っていた。そんな私が四年生になってようやく海外に行くことを決意したきっかけが二つある。ひとつは、研究室同期にとても国際的な友人がいたことだ。彼は英語が得意で、アメリカのMITに留学したこともある人だった。積極的に外の世界に飛び出していく彼はとても輝いていて、かっこよかった。もうひとつは、私の双子の姉がフィンランドに留学したことだ。生まれる前から一緒で、なんならDNAも同じ人間が留学をするということは、私にとって衝撃的だった。彼らの姿を見て、私は自分の将来の姿を想像してみた。社会に出たら、私には東大出身という肩書が付きまとう。そのうえ、私は女だから、それこそ「リケジョ」などと物珍しい動物のように扱われるのだろう。数年後に迫ったその瞬間を想像した時、私はこのままではいけないと思った。世界も知らずに東大生だなんて言えるのだろうか。研究室同期のようにかっこよくなりたい、姉にもできるなら私にもできるはずだ。インドのことは正直よく分からなかったけど、自分の目で違う世界を見る必要があると思ったし、そうすれば女である自分がどのように活躍できるのかイメージできるかもしれないと感じて、半ば勢いで応募した気がする。
2.印象的だった経験
日本に帰ってきて、あの一週間は長い夢だったのではないかと感じている。空港に着いた瞬間から別世界が広がっていて、ディズニーのアトラクションに乗っているような気分だった。その強烈な体験の中で、特に印象的だった出来事が二つある。ここでは、それらを紹介しようと思う。
まず、ホンダの工場で見た溶接の火花。私は機械情報工学科に所属しているが、研究室に配属されてからはもっぱら心理学のようなことをやっていたため、機械からは遠く離れていた。たくさんのロボットがうごめいて次々に溶接していく様子は、龍が餌を食べている姿みたいで興奮した。また、高く上がる火花の迫力もなかなかのもので、久しぶりに機械を作りたいという気持ちが湧いてきた。この他にも、全自動にするより手作業の方が安いとの話が印象的だった。インドは人口増加が著しく、若者も多いが、いずれはそれも収束するはずだ。徐々にロボットの割合が高くなっているとのことだが、どの程度まで自動化することが長い目で見たときにベストであるかを見極める必要がある。いつか収束する労働人口に対して、うまく企業が対応できなければ、コストパフォーマンスが悪くなる、失業者が続出するといったこともあり得るだろう。
次に印象的だったことは、現地の学生との交流である。特に、服部くんと若島くんが私に与えてくれた経験は忘れることができない。若島くんはインド人のPEAKの学生と友だちで、その関係で私もその人の家にお邪魔した。大きなショッピングモールに連れて行ってもらったり、インド映画を見たり、最後には彼のお母さんの手料理をいただくという貴重な体験をさせてもらった。服をたたんでいる姿や夕飯の準備をしている姿を見て、お母さんはどの国でもお母さんだなとしみじみと感じた。彼女は英語がほとんど話せないみたいだったが、別れ際に頬を両手で包まれた時には、母親の優しさみたいなものを感じて胸が熱くなった。
また、服部くんはとてもアクティブな人で、積極的にインドで友人をつくろうとしていた。彼についていくといつでも驚きと発見があったように思う。まず、服部くんのインドネシア人の友人と夕飯を食べる機会があった。このとき、はじめてオートリキシャとデリーメトロに乗った。オートリキシャで200ルピーとられたことは良い思い出。メトロは手荷物検査があって驚いた。また、どの施設に行ってもそうだが、女性用と男性用で検査入り口が異なり、女性への配慮を感じた。ただ、それを女性への思いやりだと捉えるか、そうでもしないと女性を守れないからと捉えるかは難しい問題だと思う。日本の地下鉄のように数分に一本は電車が来るし、駅内も立体交差する階段などがあり、近未来都市に来たような感覚だった。食事中は、みんなが英語で会話していてただただ感心するばかりだった。自分が情けないという気持ちと、単語でも何となく会話ができそうという自信と、いろいろな気持ちが混ざっていたように思う。ホテルに戻るのがだいぶ遅くなり、夜の街が漠然と怖く感じた。この日はとても興奮していたのか、小学生のように夜中に何度も目が覚めたことを覚えている。この日以外にも、服部くんのおかげで、現地の学生と交流する機会があった。IITデリーの学生と食事をしたり、道端で出会ったインド人の家までついていくというあり得ない体験までした。さすがに初対面の人にみんながついていった時は怖くて、終始真顔になっていたら、インド人に「君だけ全然話さないね!」と言われた記憶がある。
ただの日記のように思い出を書き連ねてしまったが、ここでは書ききれないほどの体験がたくさんあった。その一つ一つが初海外の私にとっては刺激的で、インドという普通なら行かないような国に来て本当によかったと思っている。
3.私が伝えたいこと
何度も述べているが、私は今回が初めての海外だった。私と同じように、海外に行ったことがない人に伝えたいことがいくつかある。それを最後に述べたいと思う。
まず、やっぱり世界は広いということ。世界というのは、何も海外だけのことではない。同じ東大生でも、私とは違って積極的に海外に行ったり、友人をつくったり、自分とは全然違う興味を持って学部で学んでいる人たちがいる。私は彼らに憧れを抱くと同時に、私はそういう人間にはなれないとも感じている。それは、私の興味が彼らと違うということもあるし、幸せを感じるポイントが違うということもある。私はみんなのことを完全には理解できないけれど、彼らが見せてくれた世界は刺激的で、自分で思っているよりも何かを成し遂げる力があるかもしれないと思わせてくれた。学年が上がるにつれて、新しいコミュニティに属する機会は減っていく。そうすると今いる環境が当たり前のように感じてくる。でも、思い切って新しい挑戦をしてみると、案外なんとかなるし、楽しい出会いがある。もし、今の自分には何もできないと感じて海外にいくきっかけが掴めない人がいるなら、あなたは自分で思うよりもできる子だよと伝えてあげたい。
一方で、海外に行くということが、危険を伴う行為だということも忘れてはいけない。今回、私たちはたまたま無事に帰れたが、もしついていった相手が悪い人だったら、と考えると冷や汗が出る。もちろん、最初から疑ってばかりでは挑戦は生まれないし、あれほど興奮する経験もできなかったと思う。でも、自分が弱い存在であることは忘れてはいけない。私は護身という意味も込めて空手をやっているが、そこで学んだことは自分がいかに弱いかということだ。たとえ黒帯を持っていても、複数の男性に囲まれたら勝てない。一対一であったとしても、相手が武器を持っていたらどうしようもない。たとえ男性でも、喧嘩慣れしている相手には勝てないと思った方がいい。一番の護身は、危険に近づかないこと。でも、危険に近づかないと発見は生まれない。ならば、今ある選択肢の中で一番安全なものを選ぶこと。例えば、女性だけで行動しない。人通りの多い道を歩く。挑戦と安全のバランスが難しいが、自分が弱い存在だということを忘れなければ、少しでも危険を回避できると思う。
4.まとめ
インドツアーを通して、私は改めて自分の将来について考えた。私はとても消極的だ。海外になんて行きたくない、新しいコミュニティにも属したくない。そんな風に考えることの方が多い。それはある意味、無知からくる恐怖だったように思う。知らない文化は怖い。知らない世界は怖い。そしてその恐れが、すれ違いを生むのだろう。でも、今は海外出張くらいなら行ってもいいかもと思えるようになった。また、一緒にインドツアーに参加した仲間が、積極的に世界に飛び立つ彼らが、将来どのような人生を歩むのかにも興味が湧いた。そして何より、自分は自分で思っているよりも何かできるかもしれないという漠然とした期待が、私の胸の中にある。とりあえず、もうちょっと英語が話せるようになりたい。そしていつか、インドツアーに参加した仲間と世界で一緒に仕事ができたらいいな、なんて思っている。
そういえば、写真を載せていなかった。最後に、ある意味一番衝撃的だったゴミ集積場の写真を載せておこうと思う。未来の人たちが困らないように、この山をきれいにすることも私たちの使命なのかもしれないと、ちっぽけな私はぼんやりと思いました。
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高柳 佳織
工学部精密工学科 4年
インドに足を運んで感じたこと
・インドと日本の関係について
今回のインドデリーでの視察を通して、日本とインドは過去、現在、未来すべてにおいてお互いにとても重要な国である、ということを実感しました。
いままでは、インドといえば、日本と全く違う環境で、身近に感じることは葉簿ありませんでした。しかし、今回の視察で、インドにある日本企業を視察や、デリーメトロに関係したJICAの事務所への訪問などで、日本にとってインドは、重要な存在であることに改めて気づかされました。もちろん市場の成長が見込める、という点でも重要ですが、インドの現地の人と日本人が信頼関係を築いて一緒に仕事をしている様子をみて、この信頼関係を維持・発展していくことが、将来大きな成果につながるのではないかと予感させました。特にデリーメトロの建設では日本の貢献が大きく、電車は遅れるもの、というインドの常識を覆し、その効果が治安の向上などにまで波及しているといった話を聞いて、開発に置けるインフラの整備の重要性や、日本の国際社会での活躍の重要性を感じました。
デリーメトロ改札 整備された自動改札機がならぶ
・インドの学生について
今回、IITデリー校で、講義を体験し、また、いくつかの研究室を訪問した。東大と大きな違いがあるかというとそうではなく、研究室や授業の雰囲気は似ていると感じました。何人かのIITの学生と交流しましたが、みんなとても気さくで、授業でも積極的に発言をしているなどの場面が印象的でした。
IITの建物
IITの女子学生と
また、インド企業のTATAを訪問した際、研究の分野にも力をいれ、学生を半としている、という話を聞き、日本では企業で研究職というと、どちらかというと開発よりになることが多いので、驚きました。そして、理系の人材がインドでは特に大事にされているのだろうと感じました。
・デリーについて
デリーに滞在して驚いたのは、その交通量の多さと活気です。リキシャが行き交い、道ばたではものを売るひとがあちこちにいて、とても新鮮でした。日本と比較するとインドは貧しい国で、生活水準も実際に低いことが伺えましたが、暗い雰囲気はあまりせず、どちらかというと明るく活き活きとした雰囲気が印象的でした。
デリー駅
賑わう夜のデリー
観光地の屋台
一種間の短い滞在でしたが、実際に町をあるいてデリーに住む人々のエネルギーを肌で直接実感し、インドが開発途上国のなかでも特に注目されるほどの発展を遂げているのには、この人々のエネルギーが関係しているのだろうと思いました。
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服部 公輔
工学部 都市工学科 3年
驚きの連続だった初インド
今回が初めてのインド渡航であったが、様々な面で自分の想像を上回るような体験の連続で毎日が非常に有意義なものであった。まずはこの場を借りて、このツアーを引率してくださった蘇先生と同行していただいた小山さん、そして費用関連の調整をしてくださった長岡さん、その他関係者の方々に感謝をお伝えしたい。次に本題のインドで何を体験したかについてに入るが、私は今回のインド研修は主に3つの面に分けられると考える。1つ目は授業・研究室見学などIITデリー校に関する体験、2つ目はインドで働く日本人やインド人の話を聞いて得られたインドでの仕事に関する体験、そして3つ目はインド人との交流や観光地や街を歩いて得られたインドの文化面の体験である。本報告書ではこの3つの面それぞれにおいて、発見や学び、感じたことを記していく。
一つ目のIITデリー校に関する体験について。キャンパスに入るとすぐに東京大学との違いが分かる。まず、キャンパス内は大学関係者しか入れず警備員のチェックを受ける必要がある。そのためか、デリーの街中は車のクラクションなどで騒々しいのだがキャンパス内はとても静かであった。また、学生や教職員とその家族はみんなキャンパス内に暮らしており、生活必需品もキャンパス内で安く手に入るため多くの学生が主にキャンパス内だけで暮らしていると、あるIITの学生は話していた。キャンパス内に入って驚いたのは特に隔てもなく工事が行われていることである。東大に比べるとまだ使われていない敷地も大きいため、拡張の余地が大きいのであろう。さて、授業についてであるが下の写真のような教室で授業を受けた。自分は自身の専攻と近い環境工学、構造力学、大気汚染や騒音という3つの授業を選択した。特に環境工学の授業に関しては先学期に自身が東大で学んだことを取り扱っており、内容面に関してはあまり東大の授業との差は感じなかった。また、生徒の様子としては真面目に受けているもの、度々携帯をいじっているもの、寝ているものなど、意欲は人それぞれであまり声を大きくは言えないが東大の生徒とも大差はないと言えるだろう。一方で東大との違いを感じた点としては先生と生徒のコミュニケーションが活発なことである。先生は生徒の反応をよく観察しており、雰囲気に応じてジョークを言って関心を集めたり、積極的に質問を投げつけたりしていた。生徒も先生のジョークに対し笑ったり積極的に質問に答えたりするなど先生と生徒の信頼関係が感じられた。東大の授業はIITデリーの授業よりも長いこともあるし(東大の105分に対し、自分が受けたIITデリーの授業は90分か60分。)、東大の授業ももう少し双方向型を意識するものだとお互いの集中が続くのではないかと素直に感じた。
写真1 教室の様子
研究室は主に、土木系と機械系の研究室を見て回った。自分はまだ研究室配属が決まっていなかったため東大との比較は難しいが、各研究室はそれぞれはっきりとしたテーマを基にした多くの実験設備があり、同じ学科内でも研究室ごとに独立している印象を受けた。自分の専攻は都市の水や廃棄物などの環境分野を扱っているため、IITデリーの水や廃棄物分野を扱っている研究は興味深かった。例えば水分野ではインドで広がっている重金属による地下水汚染の拡散についての研究、廃棄物分野では分別回収を行っていないインドにおいて消却灰のリサイクル可能性についての研究など地域性の強い研究などがあり、途上国の都市環境に関心がある自分にとっては非常に刺激的だった。また、これは東大の修士や博士の学生からも感じることだが、IITの修士や博士の学生たちも自分の研究分野に対する誇りと幅広い知識を有しており、自分の意欲も高まった。
二つ目のインドにおける仕事に関する体験について。活動初日である二日目にインドのHONDA工場とHITACHIを訪れたが、やはりそれぞれ日本での企業活動とは特徴が違うことが伺えたのは興味深かった。例えばHONDA工場では日本と比べて大きく人件費が安いため、自動化率は日本の100%に比べてインドでは14%程と手作業による工程が多いという事情があった。(ソース:HONDAのナガセさん)また、HITACHIはインドで高速鉄道用の信号機器・システムを扱っているが、現地企業との英語ではない現地語でのコミュニケーションが必要となったり現地の慣習を考慮する必要があったりするなどインドでの高度な適応が求められるため、多くのインド人従業員を雇ったり、現地人社長を登用するなどの工夫を施していた。この2例からも分かるように海外でビジネスを行う場合、特にインドのような日本と大きく状況が異なる国で仕事を行う際は日本流のビジネスを押し付けるのでは無く、現地の慣習をよく理解し適応する重要性を感じた。また、HITACHIで聞いた話であるが、驚くべきことにデリー・ムンバイ間の高速鉄道が開通した後も踏切昇降は手動で行われ続けるという。これもインド人の人件費が安いことや、従業員の失職の懸念に起因するようだが、このことはインドなどの途上国では必ずしも高い技術が求められていないということを暗示している。そのような中で高い技術力を持つと言われる日本企業がどのように影響力を発揮していくべきかというのは課題に感じた。最終日の午前中にはインドのトップ企業であるTATAを訪れたが、従業員からは自分の仕事に対する誇りや自信が感じられた。これは例えば日本のTOYOTAなどのトップ企業と雰囲気は似ているものがあるのかなと想像した。最終日の午後にはJICAのインドの事務所も訪れた。ここでの体験は、途上国開発に興味のある自分にとって、日本人がどのように開発に関わっていくかを考える上で非常に貴重な機会となった。まず、手短かにJICAの目指していることをまとめる。JICAは欧米に特徴付けられる無償供与では無くインフラ整備などの規模の大きい有償の援助により、様々な分野の多くの人に対して経済効果が広がることを目指している。また、勤勉性や誠実性、時間厳守、チームワークといった日本の哲学を持った仲間を増やすことも重要な援助施策の一つとして位置付けている。次に、この説明を受けた際に参加者の側から提起された2つの問題点についても深いものだと感じたので挙げておく。一つ目は援助が日本基準の押し付けにならないかという点で、二つ目はインドの下層部の人のニーズを本当に汲めているかという点である。JICA側の答えとしては、一つ目の点に対しての同じ価値観を持つ国からの要請をベースにしているから押し付けは起こらない、二つ目の点に対してはインドに存在する意見集約システムを活用しながら、足りないところは幅広く援助の裾を広げるという形で対処しているというものだった。JICAの目指していることも提起された問題もどちらも開発援助の根本に関わる非常に重要な観点であったので、自分の中でもこの観点に対する自分の明確な意見を持てるように勉強に励みたいと思った。
三つ目のインドの文化面に関する経験について。まず最初に驚いたのが、動物の多様性である。街中に野良犬や牛・リスがいるだけでなく、サルや孔雀まで共存しているのである。人の多様性は聞いていたが、動物を含めた多様性もあることに大変驚いた。観光という面では今回のツアーにおいて、タージマハルや大統領官邸、国立博物館を訪れた。タージマハルでは以下の写真の様な迫力ある壮大な建築に圧倒された。また、国立博物館ではヒンズー教・仏教・イスラム教が混合する多様で奥深い文化に感銘を受けた。特に、飾れていた首飾りなどは驚きの連続でダイヤやルビー・サファイアが散りばめられていた。この様に過去にインドでは、多種多様な文化が花開いていたのだろうなということを実感した。その一方で現在のデリーの様子に目を向けてみると、ストリートチルドレンが道路で物売りをしていたりスラムが街に散在していたりする現実があった。このことも今回のツアーで自分の心の中に大きな存在感を放った。現地の一般人が住んでいる様な地域も訪れたが、道路の状況や建物の様子など日本と比べると整っていない印象で、やはりこの国の多くの人は貧しいというのが現実なのだろう。ホームレスの様な人も道端でよく見かけた。蘇先生や友達と話して感じたことだが、インドの貧しい人々は気力を失っている様に見え、また多様性を受け入れている分貧しい人への介入も少ないのかなと感じた。(日本人が貧しい人に対して特段情が厚いとも言えないが。)そういった意味であれだけ豊富な文化を誇っていたインドが現在こういった問題に苦しんでいるギャップを見ると、イギリスの植民地支配などインドの歴史をもっと知りたいという気持ちになった。
写真2 タージマハール
まとめると、この様に今回のインドツアーで幅広い新たな気づきを得ることができ大変充実したツアーであった。また、今回のツアーで集まった東大生はもちろん、現地でもインド人学生と知り合うことができ新しい友達ができた。こういった一期一会のつながりを大切にし、インドへの関心も保ち続けたいと思う。今回のツアーはあくまでインドへの入り口だと自分は考えているので近い将来またインドを訪れて自分の学びを深め、またインドへの何かしらの貢献もしていけたらと思う。
写真3 現地学生と夕食をともに取った後の写真
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赤坂 諒
社会基盤学科 3年
インド企業視察 インドは無茶苦茶
インドという国そのものに大きく興味を持っていた。アメリカやヨーロッパなどの先進国諸国、タイやミャンマーなどの東南アジア諸国に訪れたことはあったため、そのどれとも異なる文化を持っていると思われるインドは是非訪れたい国であった。しかし、インドは日本から遠く情報もあまり持っていなかったため、個人での旅行はまだできていないところに今回のツアーの話を聞いた。好機と思い、インドの経済状況等を調べ、ポテンシャルの高い興味深い国であることがわかり参加の意思が強く固まった。今回の機会を与えてくれた皆様にこの場で感謝したい。
人生インド初入国の日であり、大きな期待を持って空港に降り立った。最初に受けた感想は空港が想像以上に綺麗であったことだ。ミャンマーでは、空港から箪笥の裏のような匂いが漂い軽くショックを受けたが、インドデリーにおいてはそのようなことはなかった。インドについての印象として初めに移ったのは交通状態と空気であった。どちらも最悪であり、しかしそれ故に自分が今インドにいることを実感させてくれるものであった。到着が夕方であったため、夜はホテルの下のレストランが思ったより高くてショックを受けた後すぐに就寝した。
企業訪問が始まり、無茶苦茶な交通を抜け以下の二つの企業を視察した。
HONDA
丁寧な対応をしていただき、普段見ることも関わることのない自動車組み立て工場の見学をさせてもらうことができた。インド人を工場で雇う際、ライン工としてすぐに実務に入ることができるようなマニュアル化、工場内の清潔維持等参考になる部分も多かったが、そうやって育った従業員が引き抜かれていく現実があるという点に、そこ自体に対策を入れなければ技術者の能力が頭打ちになるのではないかという懸念をおぼえた。
HITACHI
ほとんどが日立の事業紹介という形となり、時間的制約の中での案内は非常にありがたいものであったが、日本での資料を読む説明との大差はなかった。しかし、インドで働く人物の様子を見れたことは非常に参考になった。
企業訪問後は、赤門総会に出席し東大という大学が持つコネクションの強さをその会に出席しているOB/OGの面々を見て実感することになった。自分を表現する場は特に無かったが、将来を考えると、先輩方のようなスピーチができるか不安である。できれば司会の吉野さんの無茶ぶりで突然スピーチをするのではなく準備をしてから望むことができればこれ幸いである。
IITに訪問し授業を受け、研究室を訪問するという日程だったが、歩いての移動が想像以上にハードであり、思ったより疲労のたまる日程であった。
IIT Delhi
授業参加と研究室訪問をした。授業は英語で行われていること以外に大きなレベルの差や生徒自身に差があるようにも思えなかった。研究室は、東大の研究室の方が状態は良かったが、説明をしてくださった学生や教授の方の熱意や知識は本物であり、自分がうかうかしていられないことにきづかされた自戒の場となった。面白い研究も多々あり、参考にしたい。
TRYSTに参加するというのが本来の予定であったが、融通の利くスケジュールであり、自由時間にしていいとのことであったので有志の参加者とタージマハールに行くことにした。インドと言えばこの場所である。
タージマハール
タージマハールは想像の倍大きく立派なものであった。観光客の量にも圧倒されたが、素晴らしく一日潰してでも見に来る価値のあるものであった。謎のインド人ガイド(日本語が堪能)に様々世話になったが、最後料金を要求してきたりお土産店に連れていくあのしたたかさは見習うべきところがある。案内したぞ、親切だぞお金をくれ。情けは人のためならずである。
休日潰してついてきてくれたインドの学生には頭が上がらない。いつか礼ができる場があるとありがたい。
最終日は本来の目的に戻り企業視察である。インドの企業であるTATAとJAICAに訪れた。
TATA
スケジュールがかっちり決まり、非常に統制のとれているという印象を受けた。各事業がどのようなコンセプトで行われているのか、上位企業で働くインド人のレベルをひしひしと感じた。特に英語面で圧倒的な差を感じさせられた。
JAICA
日本的立ち位置での開発援助というテーマについて強く信念を持っていて熱意が伝わってきた。日本的考えが良いものであるという信念は素晴らしいものであるというのと同時に、その盲目的信仰は危うさも持っているなと感じた。
社会基盤学科にちなむトピックが多すぎて、自分は問題なかったが他学科の生徒は退屈であった時間は決して短いものではなかったと思う。移動に時間がかかるため、一個一個の企業視察は非常に短いものとなっており、その分密度は濃かったが個人的には少しゆっくりと落ち着いて視察をしたかった。一気に入る情報量が多く頭で理解するのが精いっぱいであった。
インドは様々滅茶苦茶な国であるが、そういった無茶苦茶なことを受容しながら成長している面白い国である。今回はデリーだけであったが国土の広いインドにはおそらく様々なインドがある。今回のツアーではそこに気が付かされた。再度訪れたい国のリストにインドが追加されるそんな経験ができたツアーであった。
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西條圭祐
社会基盤学科 3年
現地に行って学ぶこと
「工学系研究科インド工科大学デリー校と企業視察」は私に初めてインドに行く機会を与えてくれた。インドに実際に足を踏み入れる前まで、私がインドという国に対して抱いていたイメージというのは、人口が多くて経済成長が著しい、IT大国である、優秀な人材を多数輩出しているといった漠然としていて薄っぺらいものだった。その認識がいかに甘かったかを空港から出てひしひしと感じることとなった。まず、空港の外に出ると空気が霞んでいた。隣国の中国の大気汚染の話題はしばしば耳にするが、デリーの大気汚染がそれ以上にひどいことを知った。バスで市内のホテルまで向かう途中も驚きの連続だった。けたたましく鳴るクラクション、交通ルールなどないかのような無秩序な道路状況、多くの人。空港からホテルにつくまでのバスの中はずっと外を眺めていたが、見るものすべてが新鮮に感じられた。特に突然街中に以下の写真のようなスラムが現れたときはびっくりだった。
街中にはこのような光景が良く見られた
ゴミが散乱する川岸、水質も悪い
プログラム中の自由時間に街を歩いた時もとても苦戦した。歩道は整備が十分でなく、ところどころ陥没していた。車がビュンビュン通る道路を渡るタイミングも掴みづらかったし、オートリキシャーの値段交渉は難しかった。日本では道を歩くのに周りに注意して歩くことはないので、2、30分歩くだけでとても疲れてしまった。自分が日本に住んでいて、如何に楽で便利で恵まれた生活をしていたのかを強く感じることができた。プログラムに参加するまでインドについて全然知らなかった自分が情けないが、一方で上記のような気づきや体験は実際に現地を訪れたからこそ得られたものであったと思う。
今回、IIT Delhiの講義を実際に受けさせてもらい、また様々な研究室を訪問することができた。受けた講義はINTRO. TO TRANSPORTATION ENGG.及びSTRUCTURAL ANALYSIS IそしてAir and Noise Pollutionであった。教室の形や雰囲気、講義の内容は東大のそれと似ていたが、授業が始まると教授は学生にどんどん質問してくるし、生徒も分からないことは積極的に質問していてインタラクティブな場となっていた。IIT Delhiの学生の知的好奇心の強さと熱心さが伝わってきた。逆に自分は授業に参加しているつもりでも主体性という観点から参加しきれていないのだなと思った。インド英語の聞き取りが難しかったというのは言い訳に過ぎず、もっと積極的になりたいと講義を受けて感じた。
研究室訪問の際も、講義時と同様、研究室を案内してくれた教授や学生からは自信とパッションが感じられた。私は、社会基盤学科に所属しているのでCivil Engineering の研究室の訪問は楽しかった。特に、Structural Engineering Laboratoryでは、インドにおけるコンクリートの扱いの日本との違いなどを見たり聞いたりすることができ、またインドと日本の建築の違いなども知ることができた。フライアッシュの研究をしている人からはインドのゴミ事情を聞くことができ、研究室訪問までの滞在中に実際に既にデリーの街のゴミの様子を見ていたので、より興味をそそられた。
IIT Delhiの学生や教授はみな、思いやりがあって優しくとても気さくに接してくれたし、相手の文化に対するリスペクトが感じられて(例えば、日本に行ったことのある人は日本のどのような点が良かったのかを教えてくれたし、自分たちの国との比較もしっかりと行っていた)とても良い方々だった。
IITDelhiの様子
数々の企業訪問もとても楽しかった。
Honda Noida工場では実際に作業工程を見学することができ、その中で日本の生産ラインとの違いを解説してくださったので学ぶこと、気づくことがとても多かった。例えば、日本の自動車生産ラインはジャストインタイム方式が採用されているのだがインドは不確定な交通事情などが相まって工場に在庫が大量にあったり、人件費がかからないためにロボットを生産ラインにほとんど取り入れていなかったり、階層を気にしない日本の特徴がかつて階層制度の存在したインド人にとって強みとなっていたり、見学を通じて日本とインドの文化の違いを垣間見ることができたことが大変有意義だった。さらに社員の方との懇談では現地の生活の様子などを聞くことができた。Hitachi India では今ホットな高速鉄道事業に関する興味深い話や、インドの鉄道事情に関して聞くことができた。TATA Consultancy Serviceは唯一現地の企業ということで訪れてとても楽しかった。実際の実験室を見させていただいたり、様々な部門の方の話が聞けたりしたのがとてもよかった。COINプログラムはじめ、TCSのビジョンはいかにインドが広い視野を持って世界に貢献しようとしているかを感じさせてくれた。最後に訪れたJICAでは、坂本様よりインドに関する熱意のこもった説明をいただき、インドに対する理解を深めたのみならず、今後日本にとってもインドがいかに大切なパートナーであるか、協力していくべきなのかを理解することができた。
このプログラムに参加して上記のように多くを学んだだけでなく、インドを十分に満喫することができた。特にTaj Mahalを訪れたときはそのスケールの大きさと美しさに圧倒された。カレーは様々な種類を食べることができ、日本と全くメニューの違うマクドナルドにも行くことができた。3人乗りのオートリキシャーに5人で乗ったり、道路を悠々と渡る牛を車が避けようとする光景を見たり、街中で孔雀や猿を見たりすることができた。何をしている時でも飽きることがなく、一分一秒が無駄にならないような、濃密な時間を過ごすことができたと思っている。このプログラムを通じてインドの正負両方の側面を知ることができたし、IIT Delhiでは多くの刺激を受けた。このような貴重な機会をいただけたことにとても感謝しているし、また是非インドを訪れたい。
Delhi Metro 構内に入るにもセキュリティチェックが厳しい
Taj Mahal
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伊藤涼
社会基盤 4年
インド、デリー及び近郊の道路交通について
道路の設計は意外に良く、日本でこのような道路設計がされていればかなり利用しやすいづ炉であろうというものである。具体的には、車線幅は広く、車線数も多く、交差点では左折は信号回避の専用レーンがる。基本的に中央分離帯もあり大通りにおいては分離帯を隔てて側道も整備されている。この様にハードの整備は高い物となっているが、信号、進路表記等のソフトが不十分である。加えて逆走や信号無視が当然のごとく行われるために混乱が生じている。交通ルールや運転マナーについても日本とはかなり異なる常識を彼らは持っているようである。
日本とインドの交通、主に運転の比較をすると、すり抜け、信号無視、逆走、クラクションの多さが目立つ。信号無視や逆走は交通ルール順守の意識が低いことから生じているのだろう。インドでは自動車は高級品であり、二輪車やオートリクシャー(オート3輪)がモビリティとして多い。恐らく自動車を運転している人々ももともとは自転車、二輪車、といったステップを経ている場合が多いと考えられる。このことを考慮すると、自動車が自転車や二輪車の感覚で運転されていることが分かる。インドの道路では、歩行者、自動車、オート3輪、自動車、が明確な区別なく入り混じっている。4輪車も二輪車のごとくすり抜け、割り込み路肩走行を行っているのである。彼らの意識としては自転車も二輪車も4輪車もタイヤの数と車体のサイズが違うだけで、運転感覚は変わらないのだろう。定員外乗車も二輪車4輪車問わず行われている。クラクションの多さにいら立ち、理科う不能だと言う日本人は多いようだが、彼らはクラクションも彼らなりの使い方をしているように見受けられる。道路交通をしばらく観察すれば、クラクションがどの車両、歩行者等に対してどういう意図で使用されているかは分かる。日本においてはクランクションを重大な警告以外で使用することが禁じられているため、頻繁に使用されることは無いが、これも数十年前の日本でもそうであったかは疑わしい。インドでは逆走や信号無視に見受けられるようにルール順守の意識が低いため、クラクションの使用に関して制限があったとしてもこのような高頻度な使用がされることも十分考えられるだろう。クラクションの使用目的は明確であり、前方の邪魔な車両に対する警告として使用されている。これが注意喚起程度の意識なのか、邪魔だからどけという攻撃的な意図で使用されているかは分からないが、いずれにせよ意味は明確なので、これさえ理解すれば現地の人々の様にクラクションへの反応の取り方、使い方は分かるだろう。交通ルール順守がされない理由としては、そもそもルールの整備が十分になされていない、教育が十分になされていない、取り締まりがなされていない、ということが考えられる。少なくとも取り締まりに関しては純分に行われていない様である。都市部の人口に対し、交通取り締まりに割ける警察官の数が確保できていないのではないだろうか。
交通ルールは、道路移動の効率と安全に関わってくる。効率に対する意識は人々も持っているであろうが、それは各人がその場で最適な移動を行うということに意識が向いて、割り込み、すり抜け、逆走といった結果になっていると考えられる。この様な意識の下で、統制された道路交通の実現は、教育と取り締まりなくしては実現は難しく、急成長中の都市部においてこれを達成するのは困難だと思われる。安全意識においては道路交通以外でも総じて低いことは明らかであり、これは途上国全般に言えることであろう。面白いのは、二輪車がヘルメットを腕に通したまま運転している者が多い。ヘルメットをかぶる理由は自身の安全のためであるのに、それをわざわざ運転しにくい形で所持したまま運転しているのである。この理由としては、規則として所持が義務付けられているか、着用義務があるが実態として警告を受けた時に着用すれば取り締まりを免れることができる、ということが考えられる。安全のために規則作りをしても一筋縄ではいかないことがここから見て取れる。
車両の特徴として、まず乗用車は排気量が小さく、MTである。排気量については政治的な理由も大きい様であるが、日本のコンパクトカーに相当する排気量、エンジンパワーとなっている。一見大きそうな車も中身は同じである。もちろん一部の外車などにおいては大排気量の高級車もあるだろう。これは二輪車においても同様で、二輪車の排気量は100~200cc程度の様である。一部大きい物で300㏄程度のものもあるが、主にこの排気量態となっている。逆に日本のような50㏄の原付の設定がないため、一般道路で使用しやすく、燃費もよく安価なこの小排気量帯となっているのだろう。また、エンジンは全て空冷の単気筒である。4輪車のMT、二輪車の空冷単気筒は生産側の技術的理由と、顧客側の購買力によってこのようになっているのだろう。二輪車はネイキッドタイプが多く、これは舗装が十分に行われていない場所での走行が可能であり、バランスよく奏功しやすいということが理由の様である。また、スクーターも多く、路面状況等の理由からネイキッドタイプが多くなったが、近年では女性の利用も多く再びスクーターの割合も増えているとのことである。また、みなエンジンガードを付けており、見た目より実用性重視であることが伺える。一部ではフルカウルのスポーツタイプのものもあるが、これらも排気量は150~200㏄程度となっており、機械的な中身はいずれも大差ないことが予想される。また、ホンダのカブを流用しているものも多く(ホンダ車)横向きエンジンや、ロータリー式ミッションなどから見受けることができる。日本では商用者としての二輪車が主流であったためにカブのような形となっているが、モビリティ、市民の移動手段としての利用としては先述のネイキッドタイプが適しており、機械部分はそのままで、形としてその様に変えているようである。
道路において、歩道の整備は不十分であり、横断歩道が少なかったり、歩行者用信号が無かったり、横断歩道が中央分離帯に隔てられていたりすることがしばしばである。そのために、歩行者と車両の交通が入り乱れて余計混乱を生じている。ラウンドアバウトも多く使われているのだが、混雑時のスタックや、逆走も行われ、ハードの良さが生かされていない部分が多い。道路設計において、外国人技術者が先進国の交通意識で設計を行ったか、外国の交通設計を学んでそれをそのまま使用したためにインドに適さない部分が出てきたことが考えられる。横断歩道が盛り上がっており、車両が減速するように設計されていたり、原則させてい箇所においても路面に凸部を作り、強制的に減速させるなど、日本ではとられることのない設計配慮もある。しかし、それらがインドの実態に合っていないこと、また、歩行者通路においては導線が突然分断されているなどのことから、海外の設計、計画を見た目上まねしたかの様に見える。
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原田央
社会基盤学科 4年
デリーツアーを終えて
21世紀に入ってめきめきとその国力と世界でのプレゼンスを増すインドへの興味から本プログラムへの参加を決めました。自身の研究室配属が決まり留学生との交流が多い一年でしたが、英語を使用する機会も増え多少ながらも異文化に触れたことで、一時期奥底にまで隠れていた海外への意識が復活したように思います。その意識も相まって今回の参加となったため、現地企業の視察よりも現地学生との交流を楽しみにしていました。
現地企業の視察ではHondaやHITACHIといった日本でも有名な企業やTATAといった現地財閥まで広く見学を行うことができました。自身の専攻は土木で、大型構造物の現場見学に伺う機会は多かったのですが、車の大量生産の現場は一度も見たことがなかったので、非常によい経験となりました。どの企業にも共通していることですが、インドで事業を行うに際してどのように自社のプレゼンスを高めていくかに苦心しているように感じられました。またあくまでも企業が行う、という点から考えると、自社の利益をいかに確保しつつインドの発展が製品サービスによってどのようになされるかについて企業の方に伺うべきだったかなと後悔しています。
またJICAにも伺い現地所長や職員の方々ともざっくばらんな交流をさせていただきました。後述するIITDehliではIT系の学生が近年着目を集め、GoogleやUberのCEOも出身者ということでした。しかしながら貧富の差が激しいことは広く知れ渡っている通りで、その解消には土木系の観点から基礎インフラの整備が欠かせません。しかしながらIT系ばかりが着目されるインドにあって一体誰がそういった整備を行うのかという問いに対して、JICAは一部答えるようであったと思います。2002年に日本のODAとして行われたデリーメトロ建設事業はデリー周辺の市民の足として日々300万人を輸送している通勤移動の大動脈となり確かに現地の人々の支えとなっていることを自らが利用することで実感ができました。
サインシステムやホームドア、また車内では優先座席が確保されるなどいたるところに日本の技術協力の跡とみられるものが多く確認されました。積極的に老人に席を譲る姿なども見受けられ、自分の中でのインドの姿は明るい色で少し塗り替えられたように思います。しかしながら列抜かしや座り込みなど日本の常識に照らし合わせれば「非常識」と捉えられる行動も散見され、いくつか問題を感じたのもまた事実です。自分として列になって待つ、電車内では座りこまないという考え方は所与のもので比較検証をするまでもない絶対的な善という価値観であることと、それがインドでも適応されるかどうかは全くの別問題です。しかしながら衣食足りて礼節を知る、ではありませんがデリーメトロを使えるほど収入にある程度の余裕がある層から少しずつ価値観や礼儀を変えて行く必要がこれからの発展には欠かせないと感じました。JICAの所長さんも価値観の押し付けはいけないとおっしゃっておりそれに対しては賛成するところではありますが、いずれは日本を追い越すほどの国力を有するとされるインドにあって発展具合とそういった細かな行動の際に違和感を覚えたのもまた事実ではあります。
ついでにインドの交通事情について触れると、法規など何もない非常に荒れた世界がそこには広がっていました。同期が彼らは車を歩行するときの自分の体と同じように扱っていると言っていましたが、それは言い得て妙だと思います。だからこそ車間距離は異常なほど狭く、三車線だろうが四車線が自然と形成され、追い抜き車線変更は日常茶飯事で自分の進む道が優先されているのだと思います。確かに100cc前後の車が多く渋滞している環境下では大きな事故は発生しづらいのかと思いますが、個別最適を目指す現状は様々なリスクと次の発展段階へ向かうための大きな障壁があるはずです。もしかすると国民性なのかもしれませんが、全体最適を追求するような道路法規整理がないようにみられました。
IIT Delhiでは自身の専門に近い講義に参加し、研究室見学を行いました。学部の授業であったため内容はさほど難しくはありませんでしたが、積極的な学生側からの参加があったり、英語で授業が行われたり、当然のようで難しいことが平然と行われていたのが印象的でした。研究室見学では土木の分野についての感想がメインとなってしまいますが、設備面に関しても内容に関してもおそらく日本の方が進んでいる印象を受けました。自身の専門は水文学のためwater environmentalの研究室を訪問した際に少し学生と話をしましたが、国内に閉じた研究が多く期待していたような交流は望めませんでした。国内に多く問題を抱える点は日本と共通しているはずですが、何が違いを作るのかと甚だ疑問でした。
インドを理解するにはその歴史に目を向ける必要があります。第一次大戦ではインド義勇軍として多くのインド人が戦地に赴きました。また第二次大戦後には独立を果たし、といった歴史の流れの上に現在のインドがあるはずです。国立博物館ではその歴史が丁寧に記述されており非常に興味深かったです。工学系のインドツアーとはいえこういった人文系への理解や知識も疎かにはできないと感じました。
このツアーを通じて、何をするにしろ自らの専門への深い知識と他分野への理解、そしてそれらを適切に表現する英語力は欠かせないと確信しました。現地の学生との交流は目的となってはならず、手段たるべきです。広い世界で自分と同時期に生きている学生がどのように学び世界を捉えているかを知ることで、多角的な視野から身の回りの世界を捉えることが可能になるはずです。その結果としてより深い知識や理解が得られ、それに基づいた議論を行うことがこの後の学生生活では求められると考えます。当たり障りのない質問をすることは一見平和的ではありますが、本質的ではありません。どうしてわざわざインドにまで出向いて交流をするのかということを改めて考えさせられたツアーだったように思います。日常会話や質問程度の交流では足りず、学生としてさらには一人の人間として何を考え感じているか、それを引き出すための英語力であり知識理解であると思います。自分の中でまた一つ学ぶ理由ができました。
インドは確かに発展が約束された国ではありますが、いまだに根深く解決が困難な様々な問題を抱えています。将来のリーディング大国であるから付き合うのだという理論には全く賛同できません。日本も程度や性質の違いはあれど多くの問題を抱えています。自分の限られた時間と力をどこに注ぐのかはよく考えるべきではないでしょうか。それがインドでもいい、日本でもいい。途上国だからインドに、という理論は自分として納得できるものではありません。また身近なところだから日本に、という理論も同じことでしょう。選択肢を狭めないため可能性を増やすために多くを知り多くを学ぼうと思わされたインドツアーでした。最後になりますが、同行した学生の皆様、引率してくださった蘇先生、小山様には大変お世話になりました本当にありがとうございました。
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南 佑樹
工学部建築学科
神秘の国、インド。誰もが聞いたことがあり、誰もがその急成長を知っている。しかしながら、どのような国なのかよく知っている人はあまりいない。ヒンドゥー教徒が多い。公用語がたくさんある。そんな情報はwikipediaだって答えられる。そこで、この目で直接インドが何たるかを見てくることにした。
1日目 初対面
この日は夕方デリーの空港につき、その後バスでホテルに移動しただけであった。しかしながら、この飛行機とバスという、ある意味外界からは隔離されたところからも、インドを感じることができた気がする。まず、飛行機が到着する寸前、デリーの街を見下そうとしたが、全く見えない。そして、フッと地面が現れ着陸した。とにかく大気汚染がひどいのだ。遠くの方はかすみ、青空は水色である。それもそのはずで、道路は車と人で埋まり、斜線は意味をなさず、道路の進行方向すら意味を失っている世界が空港のすぐ外から広がっている。こんな感じでインドとの初対面を果たしたのであった。
2日目 インドの中の日本
午前はHONDA、午後は日立、そして夜はインドに関わりのある東大OBOGが集まる赤門総会に参加した。その中でもHONDAは驚きの連続であった。まず、インドの町中はいわゆる「発展途上国」の街であり、舗装も完全にはされていない感じであるが、敷地の中はまるで別世界のようにきれいであった。そして、工場の中は本当に日本であった。ものは整頓され、従業員は白い服をきている。しかし、日本の工場と決定的に違うのが工場の主役が人であること。日本ではほぼ100%の作業が自動化され、そこではロボットが主人公である。しかしながら、インドでは人件費があまりに安いために、ロボットよりも人が作業したほうが安いということらしい。ただ、世界最大の民主主義国家インドといわれているだけあって、労働組合の力が強く、労働環境に関してはかなり気を使っているとのことであった。
3日目 4日目 IITデリー
午前は交通学の授業をうけ、午後は研究室訪問をした。まず、授業の印象だが、特段東大と代わりはないなという感じであった。しかしながら、全体的に数学の理解が速い。スタイルとしては、はじめに先週の内容の演習問題をとき、その後先生が授業をするというものだった。
キャンパス内で飲めるチャイ。10ルピー。
5日目 タージマハル
この日は、1日かけてタージマハルとアーグラ城塞を訪れた。言ってみればただの観光である。ただ、インドに流れる様々な文化の血を感じることができた。どちらもムガル帝国の時代のものであり、イスラム特有の装飾などを見れて建築学科としては最高の経験であった。
6日目 街
朝から大統領府を観光し、その後博物館にも行った。しかしながら、夜に行ったマーケットのほうが、インドがなんたるかという答えに近づけた気がする。大通りから一本入るとすぐに風景が一変する。道路は舗装されておらず、商店と住居が混在している。(人とバイクも共存していて。事故が起きそう。)
7日目 企業訪問
午前にTCS (Tata Consultancy Services) のオフィス、午後にはJICAのオフィスを訪問した。JICAでは、日本の支援がインド人にとって「押し付け」である可能性はないのかということを質問したのだが、納期や列に学ぶことなど日本の習慣を導入したいという先方の強い希望があってこそだという話を聞いてとても納得した。このODAに絡む各国の援助の実態については一度きちんと調べる価値はありそうである。
まとめ
単刀直入に言うと、想像よりインフラに関しては遅れていた。何の驚きもなく停電が起き、川は汚染され、水も安全ではない。そもそもこんな世界があるという事実が僕にとっては驚きであった。見るのと聞くのは違う。そして、一つだけ言えることは、日本が世界に誇れることは意外にありそうだということである。
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Soma Kohata
Mechanical Engineering 3rd
インドツアー2018
今回のインドツアーは大きく分けてIITデリーでの授業参加・研究室見学、企業訪問、デリー市内及びアグラ地区観光がメインだった。以下はそれぞれに分けて振り返る。
1、IITデリーでの授業参加
IITデリーではMechanical Engineeringの授業を3つ受け、研究室はCivil Engineeringを中心に合計7箇所程度の研究室を見学した。
インドに渡航する前から、インドが理工系人材の育成に力を入れている、という話は伺っていた。カースト制度などの影響もあり、勉強することでなんとしても成功を収めようとするのだという話も耳にはしていたが、どこまでギラギラした雰囲気なのだろうか、と疑問に思っていた。
授業を受けての感想は、英語で学んでいるかどうかのみが違うように感じられた。内容として決して高度というわけではなく、生徒も全員熱心にノートを取っているようには見受けられなかった。しかしところどころで学生と先生の問いかけがあったり、質問が飛んだりというのは雰囲気の良さを感じたし、なにより自分はアカデミックな英語が全く理解できないことをヒシヒシと思い知らされた。
研究室で一番印象に残っているのは、溶接に関する研究室を訪問した時のこと。少し厳しそうな教授から、「溶接はどこに使われている?溶接を見たことあるものは?」という質問が飛んだものの、私含めて学生の中に、これにしっかりと答えられるものはいなかった。これには恥ずかしさを覚えた。自分が機械工学科専攻の学生でありながら、溶接の現場を知らなかったからだ。確かに日本では工業高校や専門学校も多いが、だからといって大学で工学を学ぶものとして現場で行われていることを体験しなくてもよい、ということにはならないと思う。
一方で海外のキャンパスを訪れるのも初めてだったので、歩くだけで楽しかった。訪れたグラウンドではインドの大人気スポーツであるクリケットや、大学対抗のサッカーの試合が行われていたり、キャンパスの売店の一角には日本でもおなじみの知るカフェが建設中だったりと、日本と変わらないキャンパスライフが広がっている反面、孔雀が校内を闊歩していたり、先生も生徒もキャンパス内に住んでいたりと、海外大学ならではのキャパシティや受容性の広さを感じ、とても刺激的だった。
2、企業訪問
企業訪問を通して、インドの実態やポテンシャルがはっきりと浮かび上がった。
特にHITACHIとJICAを通じて、デリーメトロや高速鉄道に関する話を(日本)政府寄りと民間企業寄りの両方から聞くことができたのはとても有意義だった。インドから日本の製品だけでなく、規律やチームワークなどの企業文化を学びたいという意向があったのも驚きだったし、一方でインド人の雇用を考えて踏切のシステムを自動化しないという現場の思いも知ることができた。
現場という面では、HONDAの工場も自動化せず非正規労働者を数多く雇っているという話も伺った。インドは工業化の部分で、建設されたインフラ設備や仕組みは世界の最先端技術を投入していると思っていたが、現在進行形で開発が行われている現場ですら、まだまだ発展途上であるインドの社会に合ったものを作っている部分もあることを実感した。
しかしデリーメトロに乗ったり、HONDAの工場を見学したりして、マナーや安全性への意識が根付き始めている様子も見ることができた。最先端技術を集めることよりも、現地の人の暮らしを安定させたり、労働環境のスタンダードを変えていくことがインドの成長には不可欠だと感じた。
またインドの技術力の高さに関しては、TATAを見学したことで実感した。スマートホームはシンガポールでの実験も行なっていると知り、インドから見た東南アジアは気候や言語などの要因からも比較的親近感を感じるのではないだろうかと思った。これは日本企業にはないアドバンテージだと思う。
こういったインドの技術力に、整備されつつある基本的なインフラと企業文化、さらにはマンパワーが噛み合えば、まだまだ成長するポテンシャルが非常に大きいだろう。自分たちの世代のうちに、インドがより世界の中心的な役割を果たすかもしれない、と感じた。
3、デリー市内及びアグラ地区観光
デリー市内では中心部を訪れたり、大統領官邸・国立博物館などを見学した。アグラ地区ではタージマハルとアーグラ城を訪れた。
個人的にヒンズー教、イスラム教、仏教などの宗教的多様性の観点からもインドに関心があったので、これらの観光はとても楽しく発見に満ちていた。
なんといってもタージマハルを見たときの感動は大きかった。インドにはあまり高い建物がなく、タージマハルの周囲もほぼ川と空き地だったので、近くで見ると想像以上に大きく驚いた。イスラム王国の国王が妻のために建てたタージマハルだが、労働者として関わったのはヒンズー教徒と言われている。ヒンズー教は死後にガンジス川での転生を信じているからこそ、このような立派な墓は彼らの宗教観とは合わないのではないだろうか、と思っていた。ただそれは部外者の私が勝手に作り上げたストーリーで、実際に生活している人にとっては一度は観光すべき、または観光客を呼び込んでくれる世界遺産に過ぎないのかもしれない。
このような考え方に至ったのはインドで生活している人を見てのことだ。野良犬がはびこり、クラクションが鳴り止まない街の様子や普段から主張が激しめなインド人を見ると、現地の人は周囲の生き方に無関心なのではないかとさえ思えた。「インド人はカースト制の名残もあって、自分の境遇を諦めて受け入れている人もいる」というお話も伺った。企業を訪れた時には今後のインドのポテンシャルを強く感じたが、その成功はまさしく一般市民の考えや生活にかかっているのだろうと、インドをめぐることで強く感じた。
4、最後に
とりとめもなく書き連ねたが、とにかく刺激的だった。思い出すとインドの街は、活気というよりも騒々しさに包まれている気がする。ただ一人一人の現地の方は、学生も教授も企業の人もドライバーも、礼儀正しく大人しい印象も受けた。だからこそ社会的に整っていけば、インドは間違いなく世界をリードする国になると思う。ぜひ今後もインドとの関わりを保ちたいし、また訪れたいと思った。そしていつかはインドの開発に少しでも携わってみたいと強く感じた一週間だった。